柏原市太平寺地区は、歴史資産の一つに、聖武天皇が難波宮へ行幸の途中参拝したといわれる当時日本一の大仏があった智識寺跡がある。
「続日本記」の記述に、天平12年(740年)の2月に難波宮に行幸した聖武天皇は智識寺を訪れ、そこにあった盧舎那仏(大仏)を拝み、自分もこのような仏像を作ってみたいと思い、それが東大寺の大仏建立の機縁になったとされている。
また、地元には智識寺と大仏を研究し、まちおこしを考えている「智識の会」が太平寺地区を中心としたまちづくり協議会的な集まりである太平寺まちづくり集会にも参画をし、活動を行っており、地元住民とともに活動をしている。
このような地域の思いをまちづくりに活かすために、当地区の山側の端にある砂防堰堤の壁面に、智識寺の大仏を地元大学である大阪教育大学生と市民とが一緒になって描くことにより、地域の誇り、愛着を醸成し、現在のまちづくりと連動することにさらなる大阪の都市、柏原市の魅力創造・発信を行う。
地域の歴史的資産で、天平時代存在したといわれる知識寺の大仏を、「智識の会」と地元大学である大阪教育大学の学生を中心として、地域住民の皆様など、さまざまな人々が力を合わせて描くことにより、地域の誇り、愛着を醸成し、さらなる大阪の都市、柏原市の魅力を創造・発信を行うことを目的としています。