INTERVIEW 当事者が語るおおさかカンヴァス

INTERVIEW 02 おおさかカンヴァスに携わった、3人のディレクターに聞きました。

おおさかカンヴァスに関わったディレクターにこの事業がどのように見えていたのか、ざっくばらんにお話していただきました。


(左から、おおさかカンヴァス・チーフディレクター古谷晃一郎さん、大阪府立江之子島文化芸術創造センター・プログラムディレクター高坂玲子さん、おおさか創造千島財団・木坂葵さん)

水都大阪2009からの系譜

ー水都大阪2009の頃にお三方は知り合ったんですか?

高坂さん
古谷さんはまだ(財)21世紀協会(現・(公財)関西・大阪21世紀協会)におられて、アーティストの井上信太さんと山本能楽堂の新作能「水の輪」に携われていたんですよね。それは水都大阪との連携プロジェクトでした。実際はそこで面識があったわけではなく、裏プログラムですよね。

ー裏プログラムで面識があるとは?

古谷さん
水都大阪に参加したKOSUGE1-16が、彼らの担当ディレクターだったNadegata Instant Partyの中崎透くんに依頼し、裏プロジェクトとして、中之島の対岸のマンションの一室を借りて居酒屋的アートプロジェクト「中人(なかんちゅ)」という設えで毎晩パーティーをしていたのを僕もお手伝いをしていたんです。

高坂さん
私たちも水都大阪2009の事務局にいて、遠方から来るアーティストのために寝床として此花区のモトタバコヤを紹介していて、宿に行くまでのとりあえずの時間に「中人」で交流しました。

ープロジェクトの裏側でネットワークが形成されていたのですね。カンヴァスに関わった初年度の感想はどうでしたか?

古谷さん
複合的なアートプロジェクト自体がはじめてで、経験のない領域でとりまとめ役をやっている状況でした。4人の女性アートマネージャーと侃侃諤諤しながらしなければいけないことをひとつずつ積んでいきながらの進行作業でしたね。全部自分達で進むべき道をつくり、その中味も作って行くのは面白いなと思いましたけどね。当時の僕の動きは相当ひどかったんやろなあとふり返って思います。何も決まっていないし、プロジェクトのフレームはあるけれど、運営のしくみがぜんぜんできていなくて、つくらないとあかんのに決められないまま走り出して。ホント猛ダッシュしながらいろいろ考えて、足らないものをつけてしての繰り返しでした。

とにかくやらねば、ということが先行し、整理しないまま進んでいた。

ー行政特有のミッションのようなものに飲み込まれたと推測するのですが。

古谷さん
僕としては見通せなかったなあ。

高坂さん
この間、私、大阪府の担当職員の方と話していまして。この年度から担当されていて、最初の2年間、大阪府の担当職員の方とよくやりとりしたのが「これは事業であってイベントではない」ということでした。マネジメント側はアーティストが作品をつくって恒久ではなく仮設で見せるから、会期や、どう広報するか、どう打ち出すかということを考えようとしていたので、大阪府の方の言う「活動として何かやりたい人をサポートする事業なんです」ということを打ち出しても理解できませんよというような議論をしていた記憶があります。今となってはカンヴァスの方針はよく理解できるのですが、当時は行政側の考えが理解できなかった記憶があります。

古谷さん
そこで思いが違ったんでしょうね。

高坂さん
こっちが想定していた従来型のアートプロジェクトや芸術祭と、たぶん違うことを大阪府がやろうとしていて、それがマネジメント側の人間にまで共有されるような伝え方が大阪府側も当時はまだ上手にできなかったんでしょうね。

古谷さん、木坂さん
うんうんうんうん。

高坂さん
とにかくやらねば、ということが先行して整理しないまま進んでいたと思う。初回の初日の前日に震災があって、震災のときの対応もこちらの役割や対応方針が分からないということもありましたね。

ーそんな経験を乗り越えて、また次の年も関わっておられるのですね。

古谷さん
初年度終了の頃は事業の継続は見えておらず、次年度の実施はないのではと思っていました。相当大変な事業だったので、翌年に参加する事は考えていませんでした。でも、翌年も引き続き関わったのは、ざっくり言うと楽しかったんだろうなと思います。面白いスタッフ達に支えられ、なんか大変やけど、ものすごい達成感はあったので。

木坂さん
3月に初年度があって、その年の秋開催でしたね。東北大震災の影響でできなかった西野達さんの作品「おおさかDNA」を先行して開催し、43作品に増えました。

ー西野さんの作品は初年度にやる予定だったんですね。

高坂さん
震災があって、それぞれアーティストはどうするか判断を迫られた年でしたね。

木坂さん
船とか車のモチーフが逆さまにつられるのは震災の被害を想起させるためによくないだろうということで延期になりました。

ー2011年は前年と比べて改善されましたか?

高坂さん
作品が多すぎると思いましたね。現場も府内各所にあって、私は箕面から堺の浜寺公園までと、現場が遠すぎて、自分が作品の完成に立ち会えない現場があって辛かったです。

木坂さん
場所が広すぎて、私自身がほかのプロジェクトも見れなかったので改善されていないですね。

ーそういうことにたいして大阪府はどういう反応だったんですか?

高坂さん
多すぎた、離れすぎていた、という思いはあったそうですよ。

古谷さん
当初の設定では20作品程度だったものの、40作品以上になったのは当時の知事の意向を受けてでしたね。その結果、誰も作品全てを把握できる状態ではなくなった。

高坂さん
でもここまで広げたからこそ次につながったとも言えますね。最初は本当にアーティストが使いたい場所を自分で言ってやってもらうというプロジェクトで。だからいろんなところを使うというのは行政的にも意味があったんだと思う。でもお客さんのことを考えると回れないですよね。アーティストもせっかくやっているのに見てもらえない。そういうジレンマはあったと思います。そして、私は2年が終わってカンヴァスを離れ、2012年からはenocoで働くことになりました。

古谷さん
カンヴァスのマネジメント部隊もenocoにテナントとして入居することになりました。

高坂さん
このときから大阪府もエリアを絞って水都大阪と連携すると決めたということでしょうね。

古谷さん
水都大阪とカンヴァス互いの得意分野をもちあわせて、より訴求力のあるものに変化していきましたね。

高坂さん
場所の魅力を引き出すという事業なので、2013年の中之島GATEで開催したのは象徴的だと思います。

ー水都大阪との連携はたいへんだったようですが、どのあたりがたいへんでしたか?

古谷さん
まず、お互いの言語が違ったので、それをチューニングするのに時間がかかりましたね。一度やってみると、お互いの動きが見えてきて、いい感じに関係が作れていったと感じています。

ーカンヴァスは垣根をこえることがかなり多い事業ですね。

古谷さん
基本、人のところに入っていって開催することじゃないですか。公園と地権者との協議もそうやし。毎回「あんた誰?」というところからはじまります。

高坂さん
大阪府の文化予算が非常に少ないので、予算カットからの生き残りをかけていくからには他のジャンルの人と協働したり、そこから価値を見出したりしてもらわない限りは、どんどん予算を減らされていく一方なので、そういう戦略もあったんだと思います。

ー中之島GATEは何もなかった場所に作品が設置されましたね。

古谷さん
毎回大変な事が多いですが、この年も大変でしたね。アジアからの観光客の方が、朝11時オープンなのに9時ぐらいから勝手に塀を乗り越えて入ってきて、山のようにやってきましたね。

高坂さん
このとき大阪府の担当職員の方は「お客さんがたった1人でもいいんです」と腹をくくっていたそうなんです。そこでいきてくる「この事業はイベントじゃないから」。

古谷さん
イベントじゃないというロジックがそこで効いているわけですね。

高坂さん
結果、中之島GATEの知名度を上げて、そのあと維新派が活用することになるんですね。

ー2014年は御堂筋が舞台ですね。

高坂さん
道路という一番触りにくいところにチャレンジした企画ですね。

古谷さん
カンヴァス事業の中では唯一ルールにのっとって、ゲリラでの路上パフォーマンスをやりました。出演者は全員一般の歩行者で、「公道なので誰がどんな歩き方をしていても自由だ。僕たちはたまたま踊りながら歩いているだけです」という整理をして、御堂筋東西の歩道500mでパフォーマンス公演を実施しました。大阪のメインスストリートとしての御堂筋や公道がメイン会場になるというのは法規や展示方法の壁が相当高くてしんどかったなあ。

ー作家はアーティストより一般人が多かったですね。

高坂さん
審査員のヤノベケンジさんも言っているけれど、これはおおさかカンヴァスの特徴ですね。はじめは作品展示の経験がない方たちとやるのは大変だし、アイデアありきというところで作品の質を問わないということが理解できませんでしたが。

ー2015年はローリングスシーの年でしたね。

木坂さん
普段「アーティスト」として活動していない人たちを、「アーティスト」と位置付けてディレクションするのが難しかったです。「芸術性が担保できない」という言い方は変かもしれないけど、「アーティストたち」はウケればいいという思いが先行しており、違和感を感じました。パッとみてウケるというのが多くて、それはどうなのかなと思ったりとか。

古谷さん
見せ方はすごくいい。水中の便利屋さんも、最近はこの作品を説明するときに「これは彫刻だ」という言い方をしています。水中をそのまま切り取った彫刻なんだと。

しかし、彼らが自分で実現したいと思っている事と観客からの見え方・とらわれ方はズレがあるんですよね。
そのあたりの意識付けをいっしょにしていく期間がほぼほぼないのでそれが難しいと感じた。カンヴァスでは作家とディレクターのチューニングする時間がすごく難しい。その、作家側はこれをしたいということしかないから。

高坂さん
実際、場所の許可申請を終えた後に、間に合わないから展示できない、取りやめできないかと相談されたことがありました。

一方で絶対作品を間に合わせるために毎日徹夜してひとりで作業し続けている作家も知っていたから、仕事としてのコミットの仕方がアーティストとはじめて参加する人は違うなと思って。そのときにアーティストはやっぱりすごいと思った。ただ、私たちはサポートするのが仕事なので、間に合わないならどうするかと考えて作家とも話し合って、何とか乗り切りました。

古谷さん
面白いからやろう、予算もつくしみたいな。はじめのきっかけはそこなんだろうな。

公共空間の使い方

ー高坂さんが、かたのカンヴァスに関われたのはこの頃ですか。

高坂さん
2013年ですね。大阪府が、おおさかカンヴァスで蓄積してきた公共空間の活用ノウハウなどを、広域の行政として大阪府域の市町村に対して伝授していくために、enocoと連携したプラットフォーム形成支援事業という事業の一環で立ち上がりました。「何かやりたいところはありますか?」と手をあげてきたところからこの年は3つ選定されて、ひとつが交野市だったんです。

「おりひめ大学」という市民と行政の協働を盛り上げていこうとしていたのですが、2012のグラサンパンダをつくった真鍋珠実さんのお父さんが交野市にいらして、その縁もあったんです。当初は大きな作品をつくりたいという話でしたが、突き詰めると市民活動の担い手が高齢化していって、若い世代を巻き込めないようになっている、という課題が見えました。それなら若い人を巻き込めるお祭りをつくりましょうということで、サポートをしました。

古谷さん
その後その活動はどうなったんですか?

高坂さん
2年目は自立して自分たちで「かたのカンヴァス」を開催しています。その後は市長交代や方針転換などもあったようですが、今も継続して活動中です。

ーいい流れですね。

高坂さん
人口が6万人ぐらいのまちなので、地縁がまだ生きている感じがしました。Uターンも結構あるし、口コミの広がりも強いですね。

古谷さん
相当良かったということなんでしょうね。

ー2016年は万博公園ですね。

高坂さん
私は個人的に佐藤隼さん(2011の作家)が先生として生徒(種(天王寺学館高等学校芸術コースを中心とした若手美術集団))を率いていたり、2010と2011に気流部のメンバーとして動いていたちびがっつが独り立ちしたのが良かったかな。

ー目線がおかあさんですね。印象としてはどうでしたか?

高坂さん
鑑賞者側としてはすごく良かったと思っていて。中之島GATEとかでやったような、先行的に土地の魅力を発掘して都市のいろんな動きにつなげていくというのとは違うけれど、鑑賞者としては太陽の塔のまわりでこういうやり方があるのか、という清々しさがありました。

木坂さん
私はこの年からカンヴァスを離れ、ちょうど全国のアートフェスティバルを毎週のように観ていた時期で、これ以外ほとんどお金を払って見に行くタイプの芸術祭だったので、無料で開催しているというのが「垣根が低い」と感じました。場所も良い意味でふわっと、親子とかで遊びに行ける、入りやすいのがいいなと思いましたね。体験型の作品が多かったし。

ーカンヴァスで培った、今後残していくべき仕組みってありますか?

古谷さん
結局人だなと思っていて。プロジェクトがなくなるとそこでのノウハウは途絶えてしまうんだけど、人的ネットワークはのこる。どうつながっておけるか、どう協働がしていけるかが課題ですねと問いに対する答えじゃないと思うんですが。逆に言えば人が繋がっていれば、やったことがないことも、チームを編成すればなんでもできるなと思う。

高坂さん
古谷さんは何を魅力に思って7年携わったんですか。

古谷さん
因縁ですかね(笑)…。毎年積み残しがあるんですよね。ちょっとずつこうすればよくなるんだということが毎年ちょっとずつ更新してこられたんです。取り組んだことが自分の中でシステム化されて。次年度はシステムがあるから考えなくていいじゃないですか。そういうことが面白かったですね。そういう意味で、2016と2015は特に面白かったですね。

2015は本当にディレクターのなり手がいなくてこれではプロジェクトが成立しないのではと思ってました。この状態はやばいと思って、現場に出たくても出ることができない産休・育休中のフリーランスのアートマネージャー達とテレワーク的なプロジェクトの進行ができないかなと思っていろんな人に話を聞きに行っていました。結果、産休・育休中の人とは一緒にすることはなかったのですが、ワークシェアしながら複数名でプロジェクトを進行するという働き方の仕組みをひとつ開発した感じがありましたね。

高坂さん
結局人が重要だというところあるので、古谷さんに蓄積していくノウハウを仕組み化していくことが、最後にカンヴァスに残された課題かと。

木坂さん
アートエリアB1で開催しているトークイベントで、2012年にカンヴァスのディレクターだった柳本さんが、5つの船という作品を中之島のっとで開催した際、河川の使用申請のやりとりで「カンヴァスみたいなやつね」と、わりとショートカットできる部分があった話を聞いたときは、やった甲斐があったかなと思いました。

カンヴァスで作った場所に関する「使用の前例」の事実を、それはどんなジャンルのものでもいいのですが、裏テーマの規制緩和を継ぐものがあってほしいと思いました。

高坂さん
当初はたぶん、許可申請などができる人材がいなかったんですよね。府立現代美術センター時代の「アート・カレイドスコープ」や「水都大阪2009」とかは手続きの嵐だったけれどまだシステム化されていなくて、それがようやくカンヴァスに蓄積されていったかな。

enocoとおおさかカンヴァスは大阪府の文化事業の両輪だと思います。都市におけるアートの実践の「拠点」と「事業」。実際には目指しているものは一緒なんだけど、組織が別なので、それぞれで密に連携をとって常にノウハウやネットワークが更新されているかというとそこまでできていないのですが。なのでカンヴァスの手法はenocoに合流していくといいんだろうなと個人的には思います。enoco自体は、カンヴァス的な自主事業はまだないので。

古谷さん
そういう意味ではカンヴァスは実践の場があったんでしょうね。

ーカンヴァスはアーティストを支援する場になっていましたか?

高坂さん
繰り返し応募する作家も多いでしょう。思うところはあってもまたやりたいと思えるんでしょうね。

木坂さん
なんとかまちアートとかと違って、自由度が高いからそこは突出していたとかあるでしょうね。

高坂さん
地域とかの文脈を考えなくていいから、それってよく考えたら今は珍しいのかもしれない。

古谷さん
地域のことなしで作品をつくれるってね。

ーお時間いただきありがとうございました。

大阪府の事業に対して、コンペで手を挙げた企業やアートディレクターとの間で何が起きていたのか知ることで見えてきたことがたくさんありました。例えば規制緩和を継ぐ事業を期待する声もそのひとつです。今後も都市の魅力を発信するような事業に関わる方にとっての一助になればと思います。

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