INTERVIEW 当事者が語るおおさかカンヴァス

INTERVIEW 03 カンヴァスの現場をずっと支えてきたスタッフに聞きました。

作品の制作・発表の現場では多くのスタッフを必要とします。「おおさかカンヴァス」では、事業開始当初、就労支援の団体やソーシャル・ワーカーなど、あえてアート関係ではない組織等と協働してスタッフを雇用し、現場にたずさわっていただきました。
そのうちの一人、カンヴァスの1年目からスタッフとして支えてくださった大久保さんに、カンヴァスのチーフディレクターの古谷さんがお話を聞きました。


(左)古谷晃一郎(おおさかカンヴァスチーフディレクター)
(右)大久保政彦(アートギャラリースタッフ)

古谷さん
おおさかカンヴァスの立ち上げから今までを見てきたのは、大阪府の寺浦さん(大阪府府民文化部 都市魅力創造局 文化・スポーツ課主任研究員 )以外は大久保さんと僕だけなんですよ。

大久保さん
わぁ、そうだったんですね。

ー大久保さんがカンヴァスに参加した理由はなんですか?

大久保さん
それまで会社勤めだったんですが、会社を退職して失業期間中に完全失業状態ではなかったですけど職場体験というプログラムで、とある会社に5日間ほど行っていました。それが終わった頃に、その会社の経営者の方が就労支援の活動をされていて、その活動メンバーのひとりが矢野紙器の社長でした。その就労支援をやっている方たちが水都大阪2009にボランティアスタッフを送り込んでいたんです。だからまわりの人は水都大阪のボランティアに関わっていて、次の年に水都大阪みたいな感じのことを開催する。その説明会があるよと言われて行ってみたらそこに古谷さんがいらっしゃいました。

古谷さん
矢野紙器株式会社がやっている、ネクストステージ エイブルという就労支援のサービスをしている事業所の方に相談して、働いてもらえる人を紹介してほしいと相談してみたところ、説明会しましょうということになって、天満橋のエル大阪というところで開催しました。そこで大久保さんにあって、いきなり次の日が現場やったんですね。

大久保さん
興味のある方は連絡先を教えてくださいと言われて、次の日に古谷さんから電話かかってきました。明日北加賀屋に行けます? 汚れても良い格好できてくださいという内容でした。

古谷さん
木津川防潮堤(名村造船所跡地前)にあるb.(ビードット)の作品ですね。


2010選定作品「b. friends on the wall」/b.(ビードット)

防潮堤に絵を描くという作品だったのですが、工場地帯にある道路沿いなので相当汚れていて、下準備のために真冬に壁を洗うという作業でしたね。

ーそれまで大久保さんはアートに関わったことはなかったのでしょうか?

大久保さん
なかったですね。
でも、音楽が好きで、持ってるレコードやCDのアートワークは誰が担当してるのか調べたり、音楽以外のアートへの造詣が深いミュージシャンを気に入ることが多いことが自分とアートとの接点だったとは思っています。
はじめてアートに関わってみて心地いいというか、なんで壁を洗わされるねんという感じではなかったんですね。はじましての人たちが10人ぐらいいて、会ったばかりだからみんな無言で掃除しているんですけど、なんか充実感みたいなものがあって。

自分の部屋の掃除もろくにしないのですが、自分が壁を洗ったあとにアーティストの人が絵を描くというのをいいなあと思っていました。当時は完全失業状態ではなかったですけど、自分はどこにいくべきだろうというような状態だったので、正社員を探していたけどそういうものがなくても、無理せんでこれがいいやと思った。こっちだなあと思って。そう思ったら吹っ切れた。初日にそう感じました。

古谷さん
すごいなあ〜、それがカンヴァス初日の出来事だったんですね。初めて聞きました。それから、けっこう大久保さんが入っていた作品制作がハードな現場が多くて、加藤翼さんの作品とか名村造船所跡地の屋根はあるけど吹きさらしのところで作業をされてましたよね。かなり過酷な状況でしたが、そんな現場だったのでいいチームになれているんかなと思うところがありました。

ーどこかの段階で現場リーダーになるんですね。

大久保さん
初年度が終わってカンヴァスの二回目があるというときに古谷さんから電話がかかってきて。TSP太陽(おおさかカンヴァスの作品制作・運営事業を受託した会社)に行ったらリーダースタッフとして働いて欲しいと言われました。

古谷さん
それからずっと、大久保さんがリーダーをやってくれていて、今回2016年は大久保さんのお仕事の関係で大久保さんがリーダーじゃないカンヴァスを迎えたんですが、会期初旬はスタッフの動きがぎこちなかったんですね。で、よく考えると日報(スタッフ間で情報共有のためのノート)の見返しとか、「日報にこういうことを書いていたけれど、どういうことですか」とスタッフからヒアリングしていてディレクターとの架け橋になってくれたりとか、大久保さんが担ってくれていたんだなと気づきました。大久保さんが自主的に考えて動いてくれていたことがカンヴァスを支えてくれていたんだなと。もし、今年も変わらず大久保さんがリーダーになっていたらこの事に気づかずにカンヴァスを終えていたかもしれないですね。だから今回カンヴァスでの働き方というか、何を考えて取り組んでこられたのかを聞きたいですね。

大久保さん
2011年にリーダーをお願いしますと言われたときに、初年度はスペックの高い人たちばっかりで、あんなふうにするのは絶対無理やなあと思いました。できることはとにかく現場をぐるぐる回って作品のパトロールをすること。特に何もなくてもぐるぐる回ることぐらいしかできないなあと感じて。

それでスタッフの人とのコミュニケーションを心がけました。それがすべて。僕にはアートの知識もないし、手先も器用じゃないので苦手だし。なんでやっていたかというと、ディレクターのみなさんがやっている、どうやってイベントを動かしているのかに興味があったんです。

ーそれで状況を共有して回るようにしたんですね。

大久保さん
情報を集めていくのは性格的に好きみたいなので。

古谷さん
大久保さんはホント向いているし、好きなんでしょうね。ディレクターってただでさえ忙しいじゃないですか。いろんなトラブルがあって、波はあるんだけど。そこに大久保さんは一定のリズムでベースを刻んできたんやろうなあ。ベース音は前にでてくるものではないけど、なくなったら音が薄くなってしまう。そんなカンヴァスを底支えしてもらった大久保さんに感謝した一年でしたね。

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